【歴史】ざっくり日本史解説シリーズ(弥生時代)

歴史

(トップ画像転載元:壬生町/地域史料デジタルアーカイブ

商社マン・よしこです。
ざっくり日本史解説シリーズの2回目は、縄文時代の終わりから弥生時代を解説します。

縄文時代は、「縄文土器」と「農業」により「集落を形成」した、争いが無く平和で豊かな時代でした

【弥生時代】(紀元前500年~紀元300年ころ)

「稲作」と「内乱」と「階級社会」の時代です。

1.稲作の開始(紀元前500年頃)

(転載元:くぼたのたんぼHPより)
http://www.tanbo-kubota.co.jp/foods/watching/20.html

大陸(今の中国あたり)から稲作が日本に伝わります(※諸説あります)。
稲は、これまでの穀物と比べると、栄養価が高く、食生活の更なる安定をもたらしました。
もちろん、従来通り、肉や魚の狩猟、木の実、果物の採取、雑穀類などの栽培も続いています。
また、縄文土器を改良した弥生土器も現れ、調理方法も発達しました。

ごはん、刺身、焼き魚、煮物など、和食の原型は弥生時代にあるんですね。

2.内乱の時代

物事には何事もメリットとデメリットがあります。
稲作は食生活の安定をもたらす一方で、内乱も招きました。

田んぼに水を張るため、用水路を作り、近くの河川や水源から水を引く必要があります。
いわゆる「灌漑農業」です。
では、日照りが続き水不足に陥った場合や、食生活の安定で人口が増大した場合、
もし川の上流にある集落(「ムラ」)が、多くの水を自身の田んぼに引いてしまうとどうなるでしょうか?
当然、下流にあるムラには、水がこなくなってしまいますね。稲の不作が続くと、生死にかかわってきます。

そうして、次第に、ムラ同士の対立が深まっていきます。
話し合いで解決しない場合、生死にかかわる問題なので、武力衝突が発生します。
生存競争に勝利するためには、軍事力が必要です。
物見やぐらが建設され、銅剣や銅鐸で戦いました。

3.階級社会の成立

内乱により、勝ったムラは、負けたムラを吸収したり、支配下に置きます。
あるいは、強大なムラに対抗するためには、小さなムラ同士が纏まります。

こうして、縄文時代の「集落(ムラ)」が「国(クニ)」へ発展を遂げました。

その過程で、内乱の英雄などが権力者「大王(オオキミ)」として君臨します。

それぞれの「国(クニ)」は、大王(オオキミ)を頂点とした身分社会を形成していきました。
また、社会的な身分は、私有財産にも格差を与え、貧富の差が広がっていきました。

4.弥生時代の終焉(西暦200年~250年頃)

そうして各地でクニ同士が内乱を続けていると、当然社会は疲弊していきます。
「人が死にすぎて農作業ができない」「もう戦争はやめよう」というムードが広がり、
人々は救世主を望みます。
また、多くの死者や権力者を埋葬するため、「墳丘墓」と呼ばれる巨大なお墓が作られるようになります。

(参考)

なお、邪馬台国というクニでは、神聖な力を持つ「卑弥呼」が現れます。
三国志時代の古代中国の1国「魏」の書物「魏志倭人伝」によると、
魏の後ろ盾により、卑弥呼は周辺の数十のクニをまとめ上げました。


このように、日本列島は内乱の時代でした。
内乱はいつ終わるのか? 日本列島は誰が統一するのか?
それはまた次の記事で。

~まとめ~

・弥生時代は、稲作で食生活が安定し、「和食」の原型が作られた。
・一方で稲作は、ムラ同士の争いを生み、消滅や支配、ムラ同士の同盟などにより、より大きな「クニ」が誕生した
・邪馬台国と卑弥呼は、「魏」の後ろ盾により勢力を伸ばすも、日本列島の統一には及ばなかった。

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